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No.18

あの日から1年経った3月11日、みなさんはどのように過ごされましたか?
どの局も趣向をかえて、競うように一日中追悼番組を放映していました。いかに被災地の皆さんが苦難を乗り越えて今日まで頑張ってきたか、そして支えた側をも、とても感動的に美しくまとめてありました。けれど私はがっかりし、悲しい気持ちでいっぱいになってしまったのです。例えば、何ら変わることのないガレキの山、山、山…。これでは復興も絆もないでしょう、と思いました。同日、新聞に掲載された伊集院静さんの思いをみなさんはどう受け止めますか?伊集院さんも又、被災者のおひとりです。


  わかって欲しい   伊集院 静04-1.jpg


東北の町の、村の、里のどこかで、
昨日、ようやく帰ってきた人の通夜があり、
今日はその人の葬儀に並ぶ人がある。
明日も誰かの月命日がある。
そう、北の地では毎朝、毎夕、どこかで祈りを捧げている人が居る。
そうして三千余人のまだ帰らぬ人たちを待つ人が
同じように祈っている。
その上、町を去らねばならぬ人がいて、見送る人がいる。
どちらも泣きながら互いのしあわせを祈っている。
復興だ。一年が経つと、テレビ、新聞、雑誌は言うけれど、
この祈り続けている人たちのことをもう少しわかって欲しい。
同情が欲しいんでは決してない。
この震災がまだ続いていることをあなたたちにもわかっておいて欲しいのだ。04-2.jpg

作家の私が、この人たちに言えることは、
悲しみはいつか終わるときが来る。
そうして笑える日が必ず来る。
という言葉だけだ。
どうか、わかって欲しい。



「癒し・セラピー」を辞書で調べると”病気や苦痛、悩みを治す”と書かれています。
治せないまでも、苦痛や悩みの一端を一緒に背負うことこそセラピーの役割であると強く思います。被災地の悲しみの深さはわからないけれど、わかろうと努力すること、祈ることは今日からでも、そして誰にでもできるのではないでしょうか?

アニマルセラピスト 石川 薫

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